先日、ロンドンの「帝国戦争博物館」に歴史の勉強も兼ねて訪れた。
イギリスにとって日本はかつて第一次世界大戦中は味方に、そして第二次世界大戦中は敵として戦った国であり、現地で日本がどう説明されているのか気になったのでその辺りも話していきたいと思う。
帝国戦争記念博物館とは?
帝国戦争博物館(Imperial War Museum)とはイギリスに5か所存在する歴史博物館の総称で、ロンドンに3か所、オックスフォードとマンチェスターに1か所ずつ分館がある。
今回訪れたのはその中のメインとなる「ロンドン帝国戦争博物館」で、ロンドンの残り2つは「軽巡洋艦ベルファスト」と「チャーチル博物館」となっている。
帝国歴史博物館では主に第一次世界大戦から現代に至るまで、主に近代に起きた戦争の歴史の展示を見ることができる。
エントランスの主な展示物
スピットファイアー
イギリスのスーパーマリン社によって製造開発された戦闘機「スピットファイア」は、第二次世界大戦の対ドイツ戦において数多の功績を残した。
特に「バトル・オブ・ブリテン」と呼ばれるドイツと行なわれた空中戦では、最後までドイツ側に制空権を許さず、英国を守った象徴として映画やドラマなどでよく扱われている。
機体に描かれている青、白、赤のマークはイギリス空軍を示すシンボルとして有名。
V2ロケット
第二次世界大戦中にドイツが開発した世界初の液体燃料型弾道ミサイルである「V2ロケット」は、主にロンドンを爆撃することを目的に製造された。
戦争は皮肉にも技術力を大幅に向上させるというが、戦後、ロケット開発に携わっていた研究者たちはアメリカやソ連へと渡り、冷戦下での米ソの宇宙開発競争において大きな役割を担うことになった。
桜花
旧日本軍が開発した小型特攻兵器「桜花」は、大型の爆弾に翼と操縦席を付けただけの異質な姿。
大型爆撃機によって上空から切り離された機体は、敵艦向けて爆弾もろとも突き進む自殺兵器となって当時のアメリカ軍に衝撃を与えた。
しかしその重さ、技術の単純さ、当時の戦術の無謀さなどから、上層部の期待に沿う十分な成果をあげることもできず、まさに桜の花のごとく命を散らすためだけの兵器となってしまった。
欧米では Kamikaze(神風)とか Suicide(自殺)とかいう言葉で呼ばれているが、当時の連合国側の兵士からは〝Baka(馬鹿)Bomb〟と呼ばれていたのだそうだ。
World War I エリア
三国協商と言われる「イギリス・フランス・ロシア」と、三国同盟を結んだ「ドイツ・オーストリア・イタリア」が中心となって人類史上初の世界戦争が始まった。その当時、日本はイギリスと同盟を結んでいたため協商側の一員としてドイツに宣戦布告する形で戦争に参加した。
結果は協商側の勝利に終わり、敗戦国のドイツは1320億金マルク(約200兆円)という莫大な賠償金(その後、減額)を支払うことになった。ドイツがその賠償金を完済したのが戦争が終局してから92年後の2010年のことだというから、いかに賠償金が巨額だったかというのが分かる。
(左)イギリス陸軍大臣であるホレイショ・ハーバート・キッチナーが見る者に向かって指を差しながら〝WANTS YOU(あなたを必要としている)〟と兵士を求めているポスターは、当時相当な効果があったらしく、なんとポスターが配布されてから48万もの志願者を確保できたのだとか。
(右)第一次世界大戦時の軍服……だが、どこの国のものか忘れてしまった。カラー的にはフランスっぽいが、ヘルメットの紋章を見るとドイツっぽくもある。手に持っているのはリコイル時に〝カキーン〟という金属音が鳴るボルトアクション式のライフル。
(左)ドイツ軍とイギリス軍によって使用されたこん棒の数々。戦争と聞けば飛び道具を使って戦うのをイメージするが、第一次世界大戦中はまだこん棒が武器になっていたなんて驚きだった。塹壕に隠れて敵を襲うのに使用されたそうで、こんなのでボコボコに殴られたらた確かにヤバい……
(右)イギリス軍が使用していたガスマスク。塩素系ガスやマスタードガスなどを使用していたことから被られたものだというが、現代のガスマクスとは違って本当に被るだけ。こんなので本当にガスを防ぐことができたのだろうか…..と思えるほど簡素なもののように思えた。第一次世界大戦で化学兵器が大量に使用されたことがきっかけで、初めてイギリス軍にガスマスクが採用されたのだそうだ。
(左)イギリス空軍の「ソッピース・キャメル」は上下に翼を持つ〝複葉戦闘機〟と呼ばれるプロペラ機で、ドイツ軍の巨大飛行船「ツェッペリン」を撃墜したことで知られる。ちなみにこのこの機体は操縦するのがかなり難しく、パイロット泣かせの戦闘機だったらしい。
(右)イギリス軍がパレスチナに侵攻した時に、オーストラリア人兵士によって鹵獲されたドイツ軍の拳銃「ルガーP08」。その特徴的な形から戦利品として人気が高く、展示品にもグリップに自分が獲得したことを表すサインが彫られていた。
World War II エリア
1939年9月1日、ナチス指導者であったアドルフ・ヒトラー率いるドイツ軍が突如ポーランドに侵攻した。そのことを受けてイギリス・フランスがドイツに宣戦布告し、始まった第一次世界大戦以来の大戦争のこと。
ドイツ、イタリア、日本を中心とした「枢密国」陣営と、イギリス・フランス・ロシア・アメリカ等の「連合国」陣営に分かれて行なわれ、1945年に連合国側が勝利したことで決着した。
とうとう、日本がメインとなって登場する。
(左)日中戦争の際、戦費を支援するように国民に国債の購入を促すポスター。戦争はとにかくお金と人員がかかるので、当然、国民にも大きな負担がのし掛かる。結局、戦後この国債は紙切れ同然となってしまった。
(右)日本人を中国人とどのように見分けるか、ということが書かれた資料の一部。戦争について考えるときにいつも思うことだが、敵味方を見分ける術がないと戦場では本当にカオスになってしまうだろう。写真右下に映る人物は中国人レポーターなのだが〝日本人ではありません〟と書かれた紙きれをわざわざ胸に貼り付けている。
(左)史上最大の航空戦と呼ばれる「バトル・オブ・ブリテン」。ドイツ空軍はロンドンを空襲するなどイギリス撃破に躍起になっていたものの、イギリス軍の脅威的な踏ん張りもありイギリス攻略は失敗に終わり、結果的にそのことが第二次世界大戦におけるドイツの敗北を早めることになった。
(右)ナチスの紋章が付いた鷲の銅像。「アドラー」と呼ばれる黒鷲がモチーフとなっていて、ベルリンにあった首相官邸からイギリス軍によって戦利品として持って来られた。実物はかなり大きく、またナチスに関する展示を見るのは初めてだったので結構衝撃的だった。仮面ライダーV3に登場する悪の組織『デストロン』に出てくるドクトルGを思い出した。ナチスの幹部だったという設定だった。
(左)大日本帝国海軍によって行なわれたハワイ真珠湾にあるアメリカ海軍基地に対する爆撃は、非常に大きな戦果をあげたものの、結果としてアメリカに本格的に第二次世界大戦に参加する大義名分を与えてしまうことにも繋がった。その後、日本はアメリカとの全面戦争へと突き進んでいく。
(右)1941年12月10日、イギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋艦「レパルス」がマレー沖で大日本帝国海軍航空隊の攻撃によって爆撃され、沈没した。東洋を守る主力艦隊が撃破されたことはイギリスにとって大きな打撃となり、これからの時代は戦艦より戦闘機の方が優位性があるということを世界に知らしめる結果となった。当時のウィストン・チャーチル首相が「これほどまでの衝撃を聞いたことがなかった」と述べたことは有名な話。
ホロコースト・ギャラリー
そして、遂にホロコースト・エリアへ。
入り口ではスタッフが小学生未満は入場を勧めていませんと声を掛けていたり、写真撮影も禁止とのことで明らかに空気が違うのが分かった。
最初は、当時のユダヤの人々の平和な日常が紹介されていた。ちょうど自分たちの前には「キッパ」と呼ばれる丸い小さな帽子を頭に乗せたジューイッシュの方々が話し合いながら見学に来ていて、様々な想いがあってここを訪れているのだろうと思った。
奥に進んでいくにつれて次第に照明は暗くなり、次第に戦争の影が忍び寄ってくる。
ナチスの旗とともに次第にドイツがユダヤ人の自由を圧迫するようになり、焼けた手紙、割れた食器、煤けたアクセサリーなどの展示、そしてヒトラーをはじめとするナチス幹部の名前が書かれた等身大のクリアパネルが通路に並べられていた。
日本でよくある館内BGMというのはなく、群衆の掛け声、軍隊が行進する音、軋む列車音などの効果音だけが暗い通路に鳴り響くので恐怖感があった。
強制収容所行きの列車の大きな展示物を過ぎると、遂に凄惨な場面を見ることになる。
地面に掘られた巨大な穴に山のように積み重なる変わり果てた無数の亡骸。モザイクもなく直視するのが辛かったが、戦争を学ぶためにもしっかり目に焼き付けようと思って見た。
マネキンのように白くなった遺体が次から次へと投げ入れられるのを眺めていると〝命の価値〟というは何なんだろうと考えずにはいられなかった。海外では映像への規制が少ないが、正しく歴史を知るにはそれも良い方法なのかもしれない。
ショップ
雑貨類
1階のショップにはTシャツ、ポーチ、キーホルダー、ポストカード、ビールまで幅広く取り揃えている。個人的にはチャーチル関連のグッズに惹かれた。チャーチルはいくつもの名言を残しているし、Vサインも有名なのできっとグッズも作りやすいだろう(笑)
書店
同じく1階にある書店。World War II の展示エリアの出口からも繋がっている。
第一次、第二次世界大戦に関する書籍が沢山揃っており、ノンフィクション、小説、クイズ本などジャンルも豊富で見ていて面白い。海外に来るといつも思うことだが、外国の書籍はとにかく表紙がオシャレでいくつも手にとってしまう。英語が大して読めないと、分かってるのに。
まとめ
日本ではなかなか見ることができないような展示もあり、見応えたっぷりの博物館だった。
オーストラリアでもそうだったが、戦勝国の博物館では日本は徹底的に「悪」として描かれる。もちろん侵略した事実があるので文句は言えないが、やはり自分の国が悪者として描かれているのを見るのは簡単なことではない。戦利品として持っていかれた旧日本軍の持ち物や、兵士たちの名前が書かれた日章旗が大きく飾られているのを目にした時はやはり心が痛くなった。
〝戦争〟という出来事に関して、日本の博物館ではその悲惨さを学ぶことが一般的だが、イギリスでは勝った喜びを分かち合う傾向にあるように感じた。勿論、多くのイギリス人が戦禍に巻き込まれて亡くなっているのわけだが、それよりも〝勝った〟という事実にフォーカスしていて、ホロコーストに関する展示以外はあまりその悲惨さを感じられることはなかったように思う。
イギリスはこれまでほとんど大きな戦争に負けた経験がない国なので、そこに歴史の学び方の違いというものがあるような気がした。
【ロンドン帝国戦争博物館/Imperial War Museum London】
- 住所:Lambeth Road, London, SE1 6HZ
- 営業時間:年中無休 10:00 – 18:00
- 入場料:無料
- 最寄駅:地下鉄 Lambeth North駅 または Elephant & Castle駅から徒歩10分
- URL:https://www.iwm.org.uk/visits/iwm-london
コメント